うつ病の急性期

うつ
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前回、一般的なうつ病の推移のグラフを自分の経験を元に変えてみました。

急性期はどうだったかなと、思い出しながら書きたいと思います。

急性期の症状

急性期、といってもいつからいつまでとははっきり言えないのですが、うつ病の診断を受ける前後2、3ヶ月くらいだったのでしょうか。

その頃の症状は、資料が頭に入らない、聞かれたことに答えられない、何を聞かれているか理解できない、判断して決断できない。こみいった仕事の話どころか、昼に何食べるかすらも決められないレベルでした。

そんな中で、昇進試験のレビューを事業部長やら部長から受けるのですが、何か質問されたら、頭をフル回転してヘトヘトになりながら答えるという感じでした。直属の課長からは、思ったより大丈夫で安心したと声を掛けられましたが、当の本人としては、 何をするにも負荷がかかり、 動かない車を手で押しているような感覚で、とても大丈夫なんかじゃない。

ただ、希死念慮、死にたいという、いわゆるうつ病で言われるのよう思いに悩まされるということは、この段階ではありませんでした。

医師とのやりとり

うつ病の診断を受けてから、主治医から、当初は 抗うつ薬(まずはSNRI)と睡眠薬(ブロチゾラム) を処方されました。薬が効き始める2週、3週目くらいに、 主治医から楽になったか?効いているか?と問われて、


「はい、少し楽になった気がします」


と答えてしまったのを覚えています。

でも今思えば、ちっとも楽になっていなかった。当時は、楽になっているのかどうなのかも、判断できない状況だったのだと思います。

その私の受け答えが影響したのかはわかりませんが、主治医は病欠を勧めず、投薬しながら会社に通うことになりました。私自身も、ここで長期休暇をとって、昇進試験を離脱しても、また来年、苦しい準備をやり直さないとだめという恐れもあって、1ヶ月ほど通っておりました。

結局は好転はせず、医師に相談、一週間まずは休ませて欲しいということを伝え、薬は、SSRIのパキシルに加え、アモキサン、クロチアゼパム、とこれまでの睡眠薬のブロチゾラムの合わせ技で対処することに。

そうはいっても、薬を変えたことで、自覚として楽になる感覚はなく、一週間の休みもただ部屋でぶっ倒れておりました。

後にすばらしい精神科の産業医にも診て頂くこともできたのですが、うつ病になりたての時に面談を受けた産業医は、ほんとうに冷たく、ひとこと「病院にかかっているなら、その指示に従ってください」とだけ。

異なる治療方針で混乱させてはならないということもあるのかもしれませんが、症状を聞くであったりとか、職場の状況はどうかであったりとか、昇進試験の際に、同じように病んでしまった他の従業員がどう対処したかなど、主治医とは違う、産業医がサポートできそうなものがありそうな気もするのですが、とにかくハズレの産業医にあたってしまいました。

昇進試験本番と社員紹介への掲載

結局は、試験に向けたレビューは受けながらも、プレゼンの資料は発症前からはあまり変わらず、そのまま試験本番へ。

なんとか10分間の事業計画のプレゼンとQAを終了。しんどいなか、しんどくないふりをしながら、QAもごまかしながらでしたが。

また、この期間に、会社の新卒採用のページの社員紹介に掲載されるということで、ライターからインタビューをうけることに。支離滅裂な受け答えで、インタビュー後に内容を何度も訂正、結果的に、いまいちなインタビュー内容と真っ青で死にそうな顔写真が掲載されてしまいました。

健康な時に、自分に自信があるときであれば、大変名誉なことだったのですが、この病気の際には、悪化させる要因でしかなかったです。

急性期の乗り切り方

一般的に言われているように、急性期にはとにかく休むのが必要なんだと思います。

私のように、無理をして仕事を続けるのではなく、しっかりと休んだり、薬が効いていないと感じるなら、ちゃんと効いていないと言えれたらか、もう少しその後の回復も早かったのではと、今では思ったりもします。

逆に、もし長期にわたって会社を休んでいたなら、職場復帰が難しくなったかもしれません。

医師と相談して診療方針を決めることになるのですが、自分では判断力が鈍っているので可能であれば、近親者と一緒に医師の診察を受けることが良いのかなと思います。

つづきます

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